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2013ドイツ・ブラジル出張

2013年9月 2日 (月)

ドイツ・ブラジル視察のブログ記事まとめ

ドイツ・ブラジル視察、遅ればせではありますが、現地で書いていたメモと撮影した写真を使って、それぞれの日程のブログ記事を書きました。

 

現地からも、Wi-fi環境があるときに少しだけ更新はしていましたが、これも記録ですからそのままブログに残しておきます。

 

8月21日 ドイツ・ブラジル出張(1日目) ~ドイツに到着、デュッセルドルフに宿泊~

8月22日 ドイツ・ブラジル出張(2日目) ~刃物のまち・ゾーリンゲン市を訪問、ブラジルに向けて出発~

8月23日 ドイツ・ブラジル出張(3日目) ~姉妹都市・モジ市にて交流式典~

8月24日 ドイツ・ブラジル出張(4日目) ~モジ市にて日系ブラジル人の皆さんの活躍に感嘆~

8月25日 ドイツ・ブラジル出張(5日目) ~サンパウロにて岐阜県ブラジル移住100周年の記念式典~

8月26日 ドイツ・ブラジル出張(6日目) ~旧岐阜県村の視察~

8月27日 ドイツ・ブラジル出張(7日目) ~ひたすら飛行機の中~

8月28日 ドイツ・ブラジル出張(8日目) ~午前8時過ぎに中部国際空港に到着~

 

2013年8月28日 (水)

ドイツ・ブラジル出張(8日目) ~午前8時過ぎに中部国際空港に到着~

ドイツ・フランクフルト空港からの11時間半のフライトを経て、中部国際空港に到着。

入国手続きを経て、預けた荷物をピックアップして、「ハム・ソーセージなどを購入された方は動物検疫へ」と書かれた表示の通り、一緒にフランクフルト空港でハムを買った幅議員と一緒に動物検疫へ。

免税店で購入したので、すっかりこうした検疫などの問題はないものか、と思い込んでいたのですが、品物によっては日本国内に持ち込めないそうです。

私が買ったハムは・・・持ち込み禁止ということで検疫にて没収(苦笑)。

帰国早々、ショックです。

しかし、ハム以外はすべての日程が無事に終了しました。

 

 

2013年8月27日 (火)

ドイツ・ブラジル出張(7日目) ~ひたすら飛行機の中~

日本とブラジルは、まったくの地球の反対側。

時差も1日24時間の中で12時間。

約11時間半のフライトを経て、ドイツ・フランクフルト空港へ。

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↑ フランクフルト空港で、同じ便で帰国する訪問団員で簡単な解散式

ドイツ現地時間の午前11時過ぎにフランクフルト空港に到着、その後、午後2時15分の中部国際空港行きに搭乗。

再び、11時間半のフライトへ。

2013年8月26日 (月)

ドイツ・ブラジル出張(6日目) ~旧岐阜県村の視察~

ホテルを午前8時半に出発・・・今回の出張で唯一、同じところで2日連続で眠ることができました。

今日の視察は、サンパウロ市内の桜高森耕地(旧岐阜県村)。

この地に岐阜県村を作ろうと、関市小瀬出身の故足立小平治さんが呼びかけたもの。

現在は岐阜県出身者だけでなく、日本各地からの入植者の方が農業を営んでいらっしゃいます。

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↑ 集会場にて移民1世から3世の皆さんと意見交換会

岐阜県としてこの地を正式に訪問するのは、何と30年以上ぶりだったそうで、こうやって来てもらえたことが嬉しい、という言葉に想いが込められていました。

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↑ 若い日系3世の方は、岐阜県に研修で来ていた方が多いです・・・私の左隣の男性も美濃加茂市に研修で滞在されていました

美濃加茂市ほどではないですが、関市にも日系ブラジル人の方が研修で滞在されていますが、付き合いもなく正直に言いますとどういう人たちなのか、私自身も分かっていませんでした。

今回、旧岐阜県村を訪問して、「あぁ、ここにいるような方が、日本に来ているんだな」ということが、初めて実感できました。

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↑ 関市から、爪切りなどのお土産をお渡ししました

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↑ 全員で記念撮影

その後、桜高森耕地内をグルリと1周してもらえました。

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↑ 途中で山県市出身の土屋さんのバラ園を見学させてもらいました・・・広さが伝わりにくいかもしれませんが、広大な敷地が広がっています

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↑ この写真に写っている土地はすべて土屋さんの農地です

旧岐阜県村に電気が通ったのは私が産まれた年ぐらい・・・40年前だったそうです。

2013年の今現在でも、道路などのインフラを見てみると、まだまだその質の低さを感じてしまうのですが(日本と比べて)、今現在でもそう感じるのですから、一体、50年前はどういう暮らしだったか・・・ということ。

旧岐阜県村を訪問すると、入植された岐阜県や関市の先人の皆さんの苦労が偲ばれます。

桜高森耕地を後にして、空港近くのホテルで昼食。

その後、時間調整も兼ねて空港近くのショッピングセンターへ。

ここでお土産を・・・と思ったのですが、ブラジルの物価も日本と比べてそれほど安いわけではないので、食指が動きません。

ショッピングセンターを出て空港へ。

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↑ 空港ターミナルで酒向県議とお別れ・・・県議団はまだペルーに訪問する日程があります

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↑ 免税店でのお土産の買い物を終えて、ドイツ・フランクフルト行きの搭乗待ち

午後6時半にドイツに向けて出発。

2013年8月25日 (日)

ドイツ・ブラジル出張(5日目) ~サンパウロにて岐阜県ブラジル移住100周年の記念式典~

午前8時過ぎにホテルを出発して、サンパウロ市内のブラジル広島県人会館へ。

午前9時から県人会主催にて先没者法要が営まれました。

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日本から数珠を持参して、先に亡くなられた皆さんの御霊に対して御焼香をさせていただきました。

同じ会場において、午前10時から「岐阜県ブラジル移住100周年・県人会設立75周年」の記念式典。

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↑ 県人会会長の山本さんのご挨拶

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↑ 岐阜県からは高原副知事が来賓としてご挨拶

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↑ 岐阜放送・岐阜新聞の杉山会長も来賓としてご挨拶・・・40年前の訪問時のことも触れられつつ、想いのこもったご挨拶でした


式典の後は同じ会場を模様替えして懇親会 

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↑ 懇親会の乾杯の発声は私・・・途中で少し頭がとんで詰まってしまいました(苦笑)

乾杯は、モジ市の歓迎夕食会で教えてもらった、「乾杯」・「ヴィヴァ」(Viva)・「万歳」の3つの言葉で。


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↑ 富野・小野のご出身である大野さんのご親戚の皆さんと記念撮影

関市ご出身の方も何名かいらっしゃって、地元市長が来てくれた、ということで喜んでいただけたのが何より。

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↑ 最後に関市からの訪問団で記念撮影

その後、サンパウロ市のイビラプエラ公園内にある日本館へ。

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↑ 皆さん、休日でくつろいでるところですので、私たちスーツ軍団は結構な勢いでウイテいました(苦笑)

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↑ 公園内ではまず開拓先没者慰霊碑にお参りをして記帳

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↑ 日本館は数寄屋造りの建物です

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↑ 日本にゆかりのある品々なども展示してあります

公園を出てホテルへ・・・希望者だけ市内の日本人街へ連れて行ってもらえる、ということで、関市からのメンバーは全員で参加。

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↑ こちらも休日ということもあって、大勢の人で賑わっていました

日本のお店も多いのですが、中国系のお店もかなり増えているそうです。

 

夜は県人会主催の歓迎夕食会。ブラジル料理のシュラスコ料理をいただきました。

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↑ 鉄串に刺して焼いたお肉を、写真のようにテーブルまで持ってきてくれて、その場で切り分けてくれます

いや、お肉はどれを食べてもおいしいのですが、年のせいか、お肉ばっかり、そうそう食べられません(苦笑)。

でも、日本ではなかなか食べられませんから、貴重な経験でした。l

2013年8月24日 (土)

ドイツ・ブラジル出張(4日目) ~モジ市にて日系ブラジル人の皆さんの活躍に感嘆~

昨晩は久しぶりにゆっくりと睡眠できました・・・と言いたいところながら、夜中2時過ぎにいきなり、ふくらはぎが吊って激痛。

日本ではこういう経験がなかったので、痛みにビックリ。どうも水分が不足すると足が吊りやすくなるそうです。

海外では水道水を飲んでいないので、確かに水分が十分に摂れていなかったのかもしれません。

午前9時にホテルを出発して、まずはモジ市内にて日本文化協会が所有・管理している敷地へ。

毎年4月にここで秋祭り(日本と季節が逆です)が行われるそうで、敷地内に慰霊碑・体育館・野球場などがあります。

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↑ 敷地内には鳥居もあります

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↑ 入植記念碑の前にて

慰霊碑の前に立って、日本を離れて地球の裏側まで来て、大変な苦労と努力を重ねられた移民の方を思うと、心から頭の下がる思い。

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↑ この文章がすべて、です

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↑ 体育館のステージには、白い壁の真ん中に大きく赤く丸が書いてあります・・・この日本国旗を見たら、移民の皆さんの日本への想いを感じて涙が溢れそうになりました 

球場横では、中学生が野球の練習をしていました。

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↑ 練習中の子ども達と記念撮影

2002年に関市からピッチングマシンを贈ったのですが、どうもマシン用のボールがないようで要望を受けました。来年度が姉妹都市45周年の節目になりますので、関市に戻って検討したい、と思います。

その後、蘭の栽培をしている日系3世の中村さんの農園を訪問。

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↑ 左側が中村さん・・・写真はラボの中です

何万本もの蘭を栽培されていて、農園もかなりの広さです。

モジ市はブラジル国内で、もっとも蘭の生産量が多いそうですが、30ほどある蘭の農園の中で、中村さんが最も大規模だそうです。ちなみに20名以上の方を雇って経営されています。

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↑ 蘭のハウスの一部・・・こうしたハウスが何棟もあります

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↑ 蘭園の広さが、こうした写真で少しは伝わるでしょうか・・・

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↑ 中村さんから蘭をいただき、全員で記念撮影

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↑ 出荷を待つ蘭たち 

その後、しめじ・しいたけなどを栽培している、同じく日系3世の浦上さんの工場を訪問。

モジ市内に3ヶ所の工場を展開していて、こちらはきのこ類の工場としては、世界で最も大規模だそうです。

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↑ 左上の骨組みだけある建物は、現在、建設中の工場

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↑ 蘭園もそうですが、きのこ類の工場に入ったのは初めてなので勉強になります

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↑ 企業のイメージ戦略として、こうしたキャラクターなども作成をしてグッズなども製作されています

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↑ 工場見学の後、栽培したしめじ・しいたけ・エリンギなどを使ったきのこ料理をいただきました

今回のドイツ・ブラジル出張の中で、もっともおいしかったのは、浦上さんの工場でいただいたこの料理・・・きのこ類は普通に食べますが、特に好んで食べるものではなかったのですが、こんなにおいしいものだったのか!と思いました。

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↑ 視察の御礼に浦上さん(中央)に関市から御礼の品を・・・たまたまですが、中身は武儀の「しいたけスナック」(笑)

中村さんも浦上さんも、どちらもブラジルにおいて大活躍をされていました。その姿に日本人として頼もしく感じましたし、逆に私たちもがんばらないと、と強く思わざるをえません。

モジ市に別れを告げて、サンパウロ市へ。

午後5時に宿泊ホテルであるマツバラホテルに到着。

午後7時から、岐阜県訪問団として夕食会。

副知事・県議会議員・岐阜市長・美濃加茂市長などとここで合流。

これまでは関市単独の日程でしたが、明日以降は岐阜県訪問団の一員としての日程になります。

2013年8月23日 (金)

ドイツ・ブラジル出張(3日目) ~姉妹都市・モジ市にて交流式典~

12時間越のフライトを経て、ブラジル現地時間の午前4時半過ぎにサンパウロ空港に到着。

このフライトでも、楽天koboにて本を数冊読了。

小さいころから小説は好きなのですが、日本にいるときは時間の限られた時間の中で読もうとすると、政治家として読むべきだと思っている歴史関連や政治家の伝記などの本を選びます。

海外出張中の移動時間で、小説10冊ぐらいは読めそうです。

朝の早い時間にも関わらず3名の方に空港まで迎えに来ていただき、マイクロバスで姉妹都市であるモジ・ダス・クルーゼス市へ。

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↑ この写真では分かりづらいと思いますが、マイクロバスの前方にはモジ市の市警のパトカーが・・・わざわざ歓迎のために先導してもらえました

モジ市内のホテルに午前6時過ぎにチェックインして、午前7時半に朝食。

この間に、熱いシャワーを浴びてサッパリして・・・と考えて、シャワーを出してシャンプーで頭がアワアワになったところで、いきなりお湯がストップ(苦笑)。

仕方なく水だけで洗おうと思ったら、その水もストップ。

幸いにして部屋のキッチンの水道が出たので、その水で洗って何とかなったのですが焦りました。

どうも水道の故障だったようですが、「あぁ、これが海外だなぁ」と学生時代のアジア旅行を懐かしく思い出しました。

日本のように、水が当たり前のように24時間通して水が出る国の方が、世界全体でみれば少数だと思います。

午前8時にホテルを出て、日系3世での平塚弁護士の事務所へ。今回のモジ市での通訳、視察のコーディネートをすべてお願いしている方です。

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↑ 事務所をお借りして、関市からのお土産などの整理

関市役所からのお土産を平塚さんの事務所宛で送らせてもらったのですが、4個中2個が不着・・・税関で足留めをされているようです。

午前9時半にモジ市の幼稚園&保育園を視察。

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↑ 視察した幼稚園&保育園の前にて、スタッフの皆さんと一緒に記念撮影

これまで市内で50施設ほどあった施設を、ベルタイオリ市長が倍増させる計画を立てており、視察した施設は1年半前に建設されたものでした。

モジ市では直営施設と、非営利組織に委ねている施設と2種類あるそうです。

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↑ 園内の各クラスを見学させてもらいました

ただ、子どもに対する職員の基準は日本より緩やかなようで、教室の広さに対して、子ども達の数が多すぎるように感じました。

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↑ 外部からのお客さんを興味深そうに見るのですが、手を出しても警戒してなかなか「近づいてきてくれません(苦笑)

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↑ 視察の御礼に関市からのお土産をお渡ししました

おもしろいな、と感じたのは、新たに建設する施設は、都市部でも郊外部でも同じ面積・色・間取りだそうで、公平性を確保するためだそうです。

子ども達の姿は世界共通。笑顔や泣き顔の何を見てもカワイイですね。

その後、市役所横の市議会棟を訪問し、市議会議長はじめ議員の皆さんとの懇談。

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↑ モジ市議会の本会議場において、議長と記念撮影

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↑ 歴代議長の肖像画の前にて、モジ市議会議員の皆さんと記念撮影


 

モジ市の人口は約40万人で、市議会議員の定数は23名。ただし、以前は16名だったそうです。

日本とブラジルの議会や選挙の違いなど、ざっくばらんに意見交換しました。

似ているところもあり、異なるところもあり・・・当然ではありますが。

一番驚いたのは市議会議員選挙。モジ市での市議会議員選挙の立候補者数は、何と500名!!を超えるとか。

日本では考えられないですね。500名から23名を選ぶ選挙では、選ぶ方も選ばれる方もどちらも大変だと思います。

お昼は、モジ日本文化協会主催による昼食会。

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↑ お世話になる文化協会の皆さんへの御礼のために関市からのお土産を手渡し

サッカーの次回ワールドカップ開催地はブラジルですが、モジ市もどこかの国の代表のキャンプ地になる見込みが高いそうです。

日本のサッカー協会も視察に来たことがあるそうで、サムライジャパンのキャンプ地が、関市と姉妹都市のモジ市・・・となったらウレシイですね。

今回の昼食会場は、キャンプ地となった場合、その代表チームが宿泊するであろうホテルにて行われました。こちらのホテルも、日系の方が経営されています。

リゾートホテルだけあって、美しい景色でした。

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ホテルを後にして、日本から移民された松田さんが経営されている、MNプロポリス社を訪問。

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↑ 稲盛和夫さんの盛和会にも入っていらっしゃって、日本にもそのために行かれるそうです

松田会長から、経営理念や日系ブラジル人についての考えをお話しいただいた後、工場内を見学させてもらいました。

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利己ではなく利他が大事、会社は従業員の意識にかかっている、というお話は、国を問わず、業種を問わず、市役所でもまったく同じことが大切だと思いました。

工場を出て市役所に向かう途中、サッカーグラウンドに立ち寄り。

今後、サッカーワールドカップに向けて、このグラウンドを取り壊し、新しいグラウンドを建設する予定だそうです。

前述したとおり、どこかの代表がモジ市にキャンプをした場合、昼食をとったホテルで宿泊をして、再整備をしたサッカーグラウンドを練習グラウンドとして使うことになるそうです。

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午後4時半から、市役所において歓迎式典。

前回訪問時の写真などは見ていたのですが、イメージとしては割とこじんまりした感じだったのですが、市長・副市長はじめ、国会議員(前市長)、州議会議員、市役所職員の皆さん・・・など、盛大な歓迎をいただきビックリしました。

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↑ 地元テレビ局などのマスコミも何社か・・・会場前にはこれまでの44年間の交流の歴史が分かる写真が展示されていました

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↑ 中でも驚いたのは、1969年に酒井利道・市議会議長の直筆の文書・・・地元の市議会議員の大先輩でもありますし、私の同級生の祖父にあたます・・・私の生まれる3年前になりますね


会場内では吹奏楽団の生演奏なども。

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式典での挨拶では、多くの方に出迎えていただいた御礼、これまでの交流に尽力いただいた先人への感謝、今回の訪問をきっかけにさらに絆が深まるよう努めること・・・などをお話しました。

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↑ こちらが翌日、地元紙に掲載された記事

式典において、ベルタイオリ市長から来年度の45周年に合わせて、モジ市から日本への訪問団を派遣することが発表されました。

今度は、モジ市からの訪問団をおもてなしをする番です。想像以上の歓迎をいただきましたので、関市としてもしっかりと準備をしなければなりません。

夜は、市内のレストランにおいて懇親会。

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↑ 左がベルタイオリ市長・・・45歳の若い市長です

県人会の皆さんや現地の日本企業の皆さんなど、100人以上の方に出席されていました。

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さとうきびから造った蒸留酒・カシャーサを飲みましたが、40度を越えるアルコール度数で、お腹の中まで熱くなる感覚。

明日のことを考えると、ビールにしておいた方が無難なのですが、現地のお酒を一緒に飲むと皆さん、喜んでもらえますからね。

楽しく交流することができました。

2013年8月22日 (木)

ドイツ・ブラジル出張(2日目) ~刃物のまち・ゾーリンゲン市を訪問、ブラジルに向けて出発~

ホテルで朝食をとってから、ホテル周りを少し散策。

国内の視察や出張ではジョギングシューズを持参して各地を走るのが好きなのですが、今回の海外出張は迷いつつも、結局、シューズは持ってきませんでした。

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↑ デュッセルドルフの街並みはこんな感じ

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↑ デュッセルドルフ中央駅にて・・・後方の「HAUPTBAHNHOE」は「中央駅」という意味だそうです

ホテルに戻ってチェックアウト。午前9時にホテルを出発して、現地で用意をしてもらったマイクロバスにて20キロほど離れている刃物のまち・ゾーリンゲン市へ。

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↑ マイクロバス・・・ベンツ車でした

ドイツの高速道路であるアウトバーンを走って、30分間ほどでゾーリンゲン市に到着。

今日、訪問したのはロベルト・ヘアダー社。

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↑ 道路横、普通の住宅が並ぶ中に会社と工場がありました

代表取締役のギーゼルハイト・ヘアダーさんに対応をいただき、会社の概要やゾーリンゲン市の刃物産業の現況について教えていただきました。

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↑ 代表取締役のギーゼルハイト・ヘアダーさん・・・能力が高い理知的な女性でした

 

140年前からゾーリンゲンにおいて、包丁・ナイフ・フォークなどを製造して、風車がトレードマークです。

ゾーリンゲン市は人口16万人強ですが、以前は刃物関係の会社が300社以上あったそうですが、現在は25社程度。

ゾーリンゲンの中でも、刃付けや研ぎなどをすべて手作業で行うことができるのは、今では訪問したロベルト・ヘアダー社のみ、だそうです。

ドイツと言えば、職人を育て守っていく「マイスター制度」が代名詞という印象ですが、ゾーリンゲンにおいてもマイスター・職人の後継者をいかに育てて、ものづくりの技術を継承していくか、ということが課題となっているそうで、どこの国も同じ問題を抱えているのだ、ということを感じました。

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↑ ヒアリング中の様子・・・本社3階にて

なお、ロベルト・ヘアダー社では、日本の職人とのコラボ作品もあり、以前は関市の企業とも関係があったそうですが、現在は三条市や越前市(武生)の職人とのコラボ作品があります。

その後、工場内を案内してもらったのですが、昔ながらの職人の世界・・・関市の刃物工場もいくつか視察をさせてもらってますが、工場内の雰囲気は似てますね。

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↑ 写真中央の方はロベルト・ヘアダー社に3人いるマイスターの内のおひとり

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↑ 機械はどれも昔から使い込んでいるものばかりでした

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↑ 柄の部分をバフで仕上げてます

 

2時間強の企業訪問を終えてからゾーリンゲン市内で昼食。

ドイツでは夕食ではなく昼食が1日の中でメインの食事だそうで、レストランで食べたランチも、食べきれない量でした。

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↑ このカツ、写真では大きさが伝わりませんが、ものすごく大きいんですよ(苦笑)

その後、市内の刃物博物館へ。

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↑ 以前は教会関係の建物だったようですが、中を改修して博物館として公開されています・・・外壁を修復中でした

ここに1961年に関市の井戸正一さん(故人)が寄贈をされた、日本刀が展示してあります。

井戸正一さんは、現在の関伝日本刀鍛錬技術保存会の井戸誠嗣・会長の御父様です。

 

井戸正一さんがご存命のときは、ゾーリンゲンを訪問する度に日本刀の手入れをされたそうですが、ご子息である井戸誠嗣さんも訪問された際、親子2代にわたり手入れをされたものです。

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↑ この写真がその日本刀・・・四尺八寸五分・・・かなりの長さです

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↑ 「濃州伝兼秀作」とあります


 

博物館内には主にサーベルなどが展示されているのですが、ドイツで関伝日本刀を見れるのは感慨無量です。

デュッセルドルフに戻り、中央駅からフランクフルト空港駅へ。

午後10時の飛行機でドイツに別れを告げて、ブラジル・サンパウロ空港に向けて出発。

ドイツは、質実剛健、というイメージでした。

街を歩く人も、あまり着飾らずファッションにはお金も手間もかけない感じ。

 

また、街にはコンビニなどは見当たりませんでした。

 

ガイドさんにお尋ねしたところ、キリスト教の教えにより、24時間営業や日曜営業は認められていない、とのこと。

 

日本ですと、全国あらゆるところにコンビニがあるのが当たり前で、これはこれで生活は便利なのですが、逆の意味では全国を画一化して、利益と便利さだけを追っている、とも言えるのかな、とドイツの街並みと生活をかいま見て感じました。

利益と便利さだけを追求していったら、日本全国どこも特色がない同じ町になってしまいます。

 

また、さすがベンツ・BMW・アウディ・フォルクスワーゲン・オベルを生んだドイツだけあって、街中で見る車はほとんどドイツ車。

 

海外に行ったときは、日本車がかなりの割合で走っていることが多いと思いますが、日本車はたまにしか見ませんでした。

2013年8月21日 (水)

ドイツ・ブラジル出張(1日目) ~ドイツに到着、デュッセルドルフに宿泊~

 

午前6時に市役所に集合して、中部国際空港に向けて出発。

 

出国手続きなどを済ませて、空港内ラウンジで待機。

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↑ 今回の関市からのメンバーは、上の写真左から・・・幅永典・市議会議員、長屋和伸・市議会議員、太田博勝・市議会議長、大野隆幸・企画部長と私の5名

 

 

午前10時発のルフトハンザ航空のフランクフルト空港行きに搭乗。

モニターが全席についていて、映画なども自分で選べるようになっているのはありがたいですね。

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↑ 前列座席の後方に付いているモニター

 

ただし、私は行きの便では映画などは見ず、楽天koboにダウンロードしてきた本を4冊半読了。

 

 

ドイツとの時差は、この季節は7時間。

12時間のフライトを経て、ドイツ時間の午後3時半にフランクフルト航空に到着。

 

ドイツ在住の日本人の方に迎えに来ていただき案内をしてもらって、フランクフルト空港に隣接する駅からデュッセルドルフ駅まで1時間強をかけて特急で移動。

 

 

ホームで待っていたのですが、どうも電車が予定と逆向きに入ってきたようで、あわててホームを走って何とか乗車。

 

日本では、こういうことはないですね。

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↑ 空港から駅に移動中

 

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↑ ドイツ版の新幹線・・・ですね
 

 

デュッセルドルフ駅に、また別の日本人の案内の方に迎えに来てもらい、宿泊ホテルであるホテルニッコー・デュッセルドルフまで地下鉄で。

 

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↑ ホテルのチェックイン前に

 

ここで夕食・・・ですが、今日は自宅で朝食、空港ラウンジで軽食、機内で昼食・軽食・夕食・・・と1日、食べてばっかり(苦笑)。

 

 

2人のガイドの方に何度も強く念を押されたのは、

 

  「スリや置き引きに気をつけること」

 

 

 

ホテル内のエレベーターに最初に乗ったとき、フロアのボタンを何回押してもランプが付かず、自分の部屋のあるフロアに行けませんでした。

 

 

後で分かったのですが、外部から勝手にホテルに入ってきて宿泊フロアに行けないよう、部屋のカードキーを入れてからボタンを押さないとエレベーターが止まらないようになっていました。 

 

 

もちろん、日本でも犯罪は起こりますが、世界の国々と比べれば、極めて治安の良い国・・・ということを実感します。

 

 

夕食後、ホテル周りを少し歩いてみましたが、約59万人の人口の市で、6500人ほど日本人がいることや日系ホテル・日本の総領事館があることもあって、ホテル周辺には日本食レストランなどが多くありました。

 

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↑ 「串亭」・・・お店に入ろうか、と思いましたよ(笑)

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↑ 日本の製品を売っているお店のようでした

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↑ 関西弁の「おーきに」ですね

 

 

 

最近は、日本のラーメンもドイツで人気があるそうで、夜遅くに店内いっぱいに繁盛していたのが印象的でした。

 

読了した本

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