岐阜新聞「素描」全8回

2013年2月27日 (水)

岐阜新聞「素描」第8回「必ず隣あり」

本日、岐阜新聞「素描」の第8回「必ず隣あり」が掲載されました。

 

今回が最終回です。

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必ず隣あり

 

 

一昨年9月に市長に就任してから、1年半がたった。日々、大小問わず多くの判断をしているが、その基準はシンプルだ。

 

関市のためになるか、市民のためになるか、という観点のみ。

 

「今現在」だけでなく、たとえ今は批判を受けても、子どもや孫の世代の「将来」も考えて結論を出す。

 

自分の評判を高めようとか、私欲を得ようという邪念がなければ、正しい判断が下せるはず―いつも、こう天に祈っている。

 

私たち人間に人柄や品性を表す「人格」があるように、市にもそれぞれ「市格」がある、と思う。

 

それを誰が作るか、と言えば、それぞれ地域に暮らす住民一人ひとりしかいない。そして、市長である私の全人格が、市役所職員に、そして市全体に影響を及ぼす。大袈裟かもしれないが、私はそう信じている。

 

 

市立関商工高校の校長室に「必有隣」と書かれた額があることを、議員時代に教えてもらった。

 

 「徳は孤ならず、必ず隣あり」

 

という論語の言葉だ。

 

報いを求めず陰徳を積む者は、決して一人ぼっちではない。必ず誰かがどこかで見ていて、協力をしてくれる、という意味である。

 

 

人間の命が必ず尽きるように、政治家としての命を終えるときがくる。

 

それがいつなのか、自分でも分からない。しかし、虚栄心が生まれ、「必ず隣あり」と信じられなくなったら、自ら幕を下ろすときだ。

 

逆に言えば、そのときが来るまで、いつも夢を持ち、前を向き、真摯に、元気に、日々チャレンジを続けるつもりだ。

 

 

この道を行く。まっすぐに、ただ、まっすぐに。

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「素描」は最大でも660字ですから、分量としてはそれほど多くありません。

 

この6年間、何やかんやでブログを毎日書いているわけなので、文章自体がまったく書けないほど苦手ではありません。

 

 

ただし、いざ新聞に掲載される・・・と考えると、なかなかキーボードの上に置いた手が動きません。

 

 

 

特に初回の原稿のときは、掛け値なしの「完全徹夜」で書きました。

 

 

2回目以降も完全な徹夜まではいかないまでも、原稿をメールで送る時間が夜中の3時過ぎということも何回か。

 

 

余談ですが、1月中旬にインフルエンザにかかりましたが、実は、「素描」の原稿書きで睡眠時間が不規則になり、体力が落ちたことが原因ではないか・・・と半分、本気で思ってます。(これは、岐阜新聞のH局長にもネタとして話しましたが(笑))

 

 

 

関市の市長なので、関市の産業・歴史・文化の魅力や進めている事業について紹介する・・・という内容が本筋だと思います。

 

しかし、それでは宣伝だけになるような気がしたことと、読者は関市外の方も多い、ということを考え、自分自身を支えてくれた言葉を紹介しながら、これまでの歩んできた道を振り返る内容にしました。

 

 

 

正直、執筆という意味ではキツイ2ヵ月間でしたが、自分自身の原点を振り返ることができ、また、気持ちも新たにできた、という意味では、こういう貴重な機会をいただいたことに深く感謝しています。

 

 

2ヵ月間の「素描」掲載中、少なからぬ方から、

 

 

 「素描、読んでいますよ。」

 

 

と声をかけていただいたり、市役所に来訪された方が、

 

 

 「”大忍”のお皿を見せてもらえますか?」

 

 

と、実際に見に来ていただいた方もいらっしゃいました。

 

 

 

自分自身を支えてくれた言葉、大切にしている言葉は、当然、今回の8つだけではありません。

 

今、思いつくままに書き並べるだけでも、

 

・トイレのスリッパ

・お前にかかっている

・過ちを改めざるを

・悲観するなかれ、楽観せよ

・お前は何かやってくれそうな気がする

・運と愛敬

・素直

・衆知を集める

・主座を保つ

・修養と努力

・ケンチャナヨ

・我、心の塵を拭わん

・言いにくいことを

・人間に合理的な判断はできない

・主人公

 

この1つひとつの言葉で、「素描」の原稿を書くことができます。(大変だから、もう書きませんが(苦笑))。

 

 

 

単に書物の中の言葉を読んだだけでは、苦しいときに支える言葉にはならない、と思います。

 

 

上に並べたような心に残っている言葉たちは、すべてその言葉の背景には、先生であったり、先輩であったり、同級生であったり、地域の方であったり、人との出会いとつながりがあります。

 

 

こう考えると、単なる「言葉」が私を支えているのではなく、その背景にある「人」の存在が私を励まして成長させてくれているのだと思います。

 

 

 

「素描」の最終回は、本当であれば心からの感謝の思いを書きたかったのですが、紙幅の都合上、そこまで書けませんでした。

 

 

 

連載が終わるにあたり、改めて、いろいろな意味で私の人生に刺激を与え、厳しく叱咤激励し、温かく支えていただいたすべての皆様に感謝申し上げます。

 

 

ありがとうございました。

 

2013年2月19日 (火)

岐阜新聞「素描」第7回「それにもかかわらず!」

岐阜新聞「素描」第7回「それにもかかわらず!」が掲載されました。

 

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それにもかかわらず!

 

高校卒業と同時に故郷を離れてから16年、市議会議員選挙に立候補するため34歳で関市に戻ってきた。

 

市議会議員のときも大学サークルの徒歩合宿のように、とにかく歩いた。年4回の市議会定例会が終わるたびに議会報告を印刷し、リュックに背負って配って歩く。

 

歩いているといろいろなことがある。犬や猫みたいにシッシッと追い払われたり、逆に犬に追われて咬まれたり、玄関先で怒鳴られたり、塩をまかれたときもある。

 

「失礼しました」と笑顔を返しつつ、少し歩くと顔がクシャクシャになるのが分かる。道路にポトポトと落ちる汗に、目から流れた液体が混じる。

政治家というだけで、まともに相手にされず、まるで疫病神のように扱われる。それが口惜しくて、情けなくて、悔しいのだ。

 

政治活動の中で、夏も冬も何千枚と議会報告を歩いて配ろうと、ネットで一日も欠かさずブログを書こうと、週末ごとに交差点でマイクを握ろうと、自分の考えや思いがどこまで人の心に届くか、まったく分からない。

 

しかし、砂漠に水をまくような非効率なことでも、「私心さえ無ければ必ず通じる」と心から信じて、貫き通すしかない。そこにスマートさや合理性はない。ただただ、愚直であり続けるだけだ。

 

ドイツの社会学者マックス・ウェーバーの著書「職業としての政治」の中に、どのようなヒドイ事態に直面しても、

 

「それにもかかわらず!」

 

と言い切る自信のある人間だけが、政治への「天職」を持つ、という趣旨の文章が出てくる。

 

私もこうありたい。

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2013年2月14日 (木)

岐阜新聞「素描」第6回「ネットコントリビューション」

昨日、岐阜新聞「素描」第6回「ネットコントリビューション」が掲載されました。

 

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「ネットコントリビューション」

 

松下政経塾を卒塾した年は、神奈川から東京へ引っ越し、結婚し、民主党本部で働きはじめ、長男が誕生し、かつ、大学院に進学した。つまり、バタバタだった。

 

大学院と言っても、働きながら学べるいわゆる夜間大学院で、再び早稲田を選んだ。

 

平日は月・水・金の3日間、仕事が終わった後に大学に通い、土曜日は朝から夕方まで終日、授業を受けた。

 

ゼミの仲間は、上場企業の部長から大学を卒業したばかりの若者まで、仕事も世代も幅広く刺激を受けた。

 

学費などを親に頼っていた大学時代と違い、自分でお金を出した大学院では、学ぶ真剣さがまったく違った。一定の経験を積んだ社会人こそ、大学院で学ぶべきだと思う。

 

修士論文を書くために、多くの論文や専門書を否が応でも読まざるをえない。あるテーマを集中的に研究する経験を一度でもしておくと、他の関係のない分野においても、問題の勘所がつかみ易くなる、と思う。

 

徹夜をしながら、文字通り、ヒーヒー言いながら地方財政に関する修士論文を書いたのだが、学ぶことで必ず誰でも成長できるし、ムダなことは絶対ない、と信じている。

 

ゼミで指導をいただいた林正寿教授の口癖は、

 

 「君のネットコントリビューションは何か?」

 

直訳すると「正味の貢献」という意味になるが、要は、人の書いたものを集めてまとめるだけでは研究としての価値がなく、何かしらの自分だけの新たな価値を創造して加えるべきだ、という指導だった。

 

今でも、先生の質問は胸に問い直している。

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2013年2月 7日 (木)

岐阜新聞「素描」第5回「大忍」(たいにん)

昨日の岐阜新聞「素描」に第5回目が掲載されました。

 

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大忍(たいにん)

大学時代の一年間、衆議院議員の国会事務所で秘書をした。政治家志望の私を知って、たまたま先輩が声をかけてくれた。

秘書の仕事の中で、松下政経塾(以下、政経塾)の先輩に出会い、政経塾を勧められた。ダメで元々の気持ちで受けたところ、運良く政経塾で学ぶ機会をもらった。世の中で「縁(えにし)」は本当に大切だと思う。

ただし、政経塾は一定期間の身分は保障されるが、その後は何ひとつも約束されていない場所だった。

世の中での立ち位置は極めて不安定で、政治の道に進もうとすれば、なおさらだった。

ある日、将来への不安に押しつぶされそうになり、頭をかきむしりながら「なぜ、こんな苦しい道を選んだんだろう」と後悔したことがあった。

落ち着かない気分でグルグルと部屋を徘徊していたそのとき、目に「大忍」という字が飛び込んできた。政経塾の寮室には、松下幸之助塾主(以下、塾主)の直筆の書がかけてあった。

突然、私は叫び声を上げた。自分の頭を殴りつけた。そして、泣いた。

自分で選んだ道のはずなのに、苦しさから安易に逃げようとしていた。「世のため、人のため」と口では偉そうに言いつつ、将来の自分の生活のことを心配していた。

塾主から「お前なんか辞めてしまえ」と激しく叱責をされたようで、同時に「単なる忍耐ではない。公に尽くす志を立てたなら、大忍しなければならない」とやさしく諭され励まされた気がした。

政経塾の卒塾記念は、「大忍」と書かれた皿だった。その皿は、今、市長室の机の上にある。

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2013年1月30日 (水)

岐阜新聞「素描」第4回「誰もやらないことに」

本日、岐阜新聞「素描」の第4回「誰もやらないことに」が掲載されました。

 

 

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誰もやらないことに

 「いつかは関市に帰る」との思いを抱き、早稲田大学入学のため上京した。

大学で入ったサークルでは、学生など1000人が参加する「100キロハイク」という行事を主催していた。

それだけでなく、自分たちの夏合宿でも「徒歩合宿」と称して、2週間弱かけて300から400キロを歩いた。大学3年間で1年目は沖縄本島一周、2年目は台湾縦断、3年目は仙台から札幌まで、仲間と歩破した。

独自の合宿ルールがあり、食費は1日100円、お米と釜と鍋は持参、勝手な飲食は厳禁、宿泊は公民館やお寺を借りる。

朝はもやし入り味噌汁、昼は塩だけ混ぜたおにぎり(具なし)、夜はもやし入りカレー、が代表的な食事例。

道路脇のジュース自販機を恨めしくにらみつつ(買うのは禁止)、水筒の生ぬるい水を飲んで肌を焼き付ける真夏の太陽の下をひたすら歩く。風呂もまともに入れないので、3日間もたてばヒドイ身なりと臭いになった。

ツライ合宿ではあったが、一方でこれ以上はない楽しい経験でもあった。

遊園地のように楽しさがお膳立てされた空間も悪くない。しかし、人生の本当の楽を感じるのは、恵まれた楽なところではない。苦しい中でも前に進み、それを仲間とともに乗り越えた先にある。

苦しさと楽しさは背中合わせで、それを分けるのは、自分の心の持ち方ひとつなんだ、と歩きながら考えていた。

 「人が誰もやらないことに命をかける。それが早稲田だ。」

大学に伝わるこの言葉の通り、単に優等生であることを善しとしない学風は、私に合っていた。

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2013年1月23日 (水)

岐阜新聞「素描」第3回「わしゃ知らん」

本日、岐阜新聞「素描」第3回目が掲載されました。

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わしゃ知らん

関高校入学初日は遅刻した。教室に入ると、「初日から遅刻するとは大した度胸やないか」と言われたが、褒められたわけでないことはさすがに分かった。

担任の高橋義明先生から、出席簿で頭をたたかれての高校生活スタートだった。(高橋先生が3年間通して担任だった)

「どう生きるか」という問いは、相変わらず自分の頭にあった。また、結論を出すべき時期でもあった。

とにかく自分が生まれ育った、愛する関市のために働きたい、という理屈抜きの想いが根底に強く流れていた。

将来を思い描いたとき、会社で働く姿が想像できず、心が動かなかった。一方、「世のため、人のために尽くす」と考えたとき、人生意気に感じ、心が震えて燃えてきた。

また、当時、政治とお金をめぐる事件がいくつか起こり、お金により政治の公平性が歪められることに激しい憤りを感じた。政治に関心を持ったきっかけだった。

これらの想いがつながって「いつか関市の市長になって故郷のために尽くす」ということが、自分の「素志」となった。

大阪出身の高橋先生は、関西弁でよくこういう話をクラスでしていた。

  「お前らの人生なんやから、お前らがどうなろうと、わしゃ知らん」

当時、「担任なのに、ここまで突き放すのか」と唖然としたものだ。

しかし、人に決めてもらった人生は、少し辛いことがあれば、おそらく言い訳や逃げばかりになるだろう。自分自身で選んだ道だからこそ、初めて覚悟と責任を持つことができる。

「わしゃ知らん」は、自立心を教えてくれた。

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2013年1月16日 (水)

岐阜新聞「素描」第2回「世に生を得るは」

本日、岐阜新聞「素描」に第2回目が掲載されました。

 

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田原小時代は、スポーツ少年団で野球をやっていたが、ライトとベンチを交互に守るようなレベルだった。(今もプレイしている早朝野球でもこれは変わっていない)

旭ヶ丘中に入学してからは、野球に見切りをつけてバスケットに転向。

 旭ヶ丘中での2年間と新設された桜ヶ丘中での1年間は、バスケットのためだけに過ごした日々、と言っても決して過言ではない。

 県大会1回戦負けが最高の成績だったが、勝って雄叫びを上げ、敗れて涙を流し、努力が報われることを知り、その反対があることも分かった。

 健康・体力・仲間づくりのためにスポーツはとても大切だが、特に子ども達にとって何より人間を成長させてくれるものだと思う。

 バスケット中心の生活ながら、2つ上の兄の本棚から小説などを拝借して読むようになった。

幼いころ、眠る前に親が絵本を読んでくれた影響もあってか、小さい頃から読書は好きだった。

学力の基礎と考え方の基盤を作ってくれたのは、読書のおかげだと今でも感謝している。
当時、最も影響を受けた本は司馬遼太郎の「竜馬がゆく」。小説なので史実と異なるところもあるが、作品の中の坂本龍馬に心酔。この中で、

 「世に生を得るは事を為すにあり」

という龍馬の台詞が出てくるが、「私もこの世に生を受けたのだから、何事かを為さなくてはならない」と心が勇み立った。

 ただし、肝心要の「何を」為すべきか、については、相変わらずはっきりとしないまま中学校卒業を迎えた。

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記事の原稿と下の貼り付けた文章と、多少違いがありますが、新聞用の表記に変えてもらっていることによります。

 

2013年1月 9日 (水)

岐阜新聞「素描」第1回「人間は不思議な生き物」

昨日に続いて、今日も新聞に関連して・・・

 

今日から毎週水曜日、岐阜新聞の「素描」欄に8回にわたって随想が掲載されます。

 

 

今、関市で進めている事業を紹介することが無難だと思いつつ、単なる宣伝のようになってしまってはいけない、と考えて、これまでの自分を支えてくれた言葉を紹介することにしました。

 

 

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人間は不思議な生き物

 これまでの人生の中で、迷ったときに道を指し示してくれた言葉がある。落ち込んだときに奮い立たせてくれた言葉がある。苦しいときに支えてくれた言葉がある。

 これから8回にわたって、大切な言葉達の一部を、歩んできた道を振り返りつつ紹介したい。すなわち、それらは私自身の生き方、考え方そのものにも繋がると思うので。

 田原小学校時代、我が家にはお金の余裕がない、と思っていた。ただし、これは子どもにそう思わせるような両親の教育方針でもあったかもしれない。

 何れにせよ、低学年のときから、自分の身は自分で立てなければ、という思いが頭にあった。あまり可愛くない小学生だったかもしれない。

 ただし、小学校卒業間近になっても、何になりたいのか、具体的なものは無かった。(もしかしたら、あったかもしれないが、今はまったく記憶にない。)

 将来どうなるか、という漠然とした小さな不安を抱いたまま、卒業式を迎えたが、最後の卒業文集に担任の河村一彦先生が次のような趣旨の言葉を紹介してくれていた。

「人間は本当に不思議な生き物だ。どんな夢でも叶えることができる。もし、夢を叶えられなかった人がいたら、それは本気でその夢を実現できると信じていなかったからだ。」

 夢はまだ定まっていない自分だけれども、夢を持って、それを信じ続けて、努力をすれば必ず実現することができるんだ、という12歳で目にした励ましの言葉は、20年以上経った今でも、私を支えてくれている。

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6年間にわたってこのブログを毎日書いていることもあって、文章を書くこと自体はそれほど苦にはなりませんが、ただし、「新聞に掲載される文章を書く」・・・となると、グンとハードルが上がります(苦笑)。

 

 

 

今日、来週水曜に掲載される原稿をヒーヒー言いながら書いて送りました。

 

 

 

 

 

午後6時半から、関市文化協会の新年会に出席。

 

 

今年度は創立40周年の節目の年にあたり、来月3日には記念公演・記念式典などが計画されています。

 

文化会館大ホールにて「能・狂言」が記念公演として開催されます。

 

 

 → 詳しい情報は関市HPへ

 

 

他の日程も入っているため、最初から最後までは見れないかもしれませんが、関市で「能・狂言」を鑑賞できるのはめったにない機会。

 

 

私自身も楽しみにしています。

 

 

 

読了した本

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