岐阜新聞「素描」第8回「必ず隣あり」
本日、岐阜新聞「素描」の第8回「必ず隣あり」が掲載されました。
今回が最終回です。
必ず隣あり
一昨年9月に市長に就任してから、1年半がたった。日々、大小問わず多くの判断をしているが、その基準はシンプルだ。
関市のためになるか、市民のためになるか、という観点のみ。
「今現在」だけでなく、たとえ今は批判を受けても、子どもや孫の世代の「将来」も考えて結論を出す。
自分の評判を高めようとか、私欲を得ようという邪念がなければ、正しい判断が下せるはず―いつも、こう天に祈っている。
私たち人間に人柄や品性を表す「人格」があるように、市にもそれぞれ「市格」がある、と思う。
それを誰が作るか、と言えば、それぞれ地域に暮らす住民一人ひとりしかいない。そして、市長である私の全人格が、市役所職員に、そして市全体に影響を及ぼす。大袈裟かもしれないが、私はそう信じている。
市立関商工高校の校長室に「必有隣」と書かれた額があることを、議員時代に教えてもらった。
「徳は孤ならず、必ず隣あり」
という論語の言葉だ。
報いを求めず陰徳を積む者は、決して一人ぼっちではない。必ず誰かがどこかで見ていて、協力をしてくれる、という意味である。
人間の命が必ず尽きるように、政治家としての命を終えるときがくる。
それがいつなのか、自分でも分からない。しかし、虚栄心が生まれ、「必ず隣あり」と信じられなくなったら、自ら幕を下ろすときだ。
逆に言えば、そのときが来るまで、いつも夢を持ち、前を向き、真摯に、元気に、日々チャレンジを続けるつもりだ。
この道を行く。まっすぐに、ただ、まっすぐに。
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「素描」は最大でも660字ですから、分量としてはそれほど多くありません。
この6年間、何やかんやでブログを毎日書いているわけなので、文章自体がまったく書けないほど苦手ではありません。
ただし、いざ新聞に掲載される・・・と考えると、なかなかキーボードの上に置いた手が動きません。
特に初回の原稿のときは、掛け値なしの「完全徹夜」で書きました。
2回目以降も完全な徹夜まではいかないまでも、原稿をメールで送る時間が夜中の3時過ぎということも何回か。
余談ですが、1月中旬にインフルエンザにかかりましたが、実は、「素描」の原稿書きで睡眠時間が不規則になり、体力が落ちたことが原因ではないか・・・と半分、本気で思ってます。(これは、岐阜新聞のH局長にもネタとして話しましたが(笑))
関市の市長なので、関市の産業・歴史・文化の魅力や進めている事業について紹介する・・・という内容が本筋だと思います。
しかし、それでは宣伝だけになるような気がしたことと、読者は関市外の方も多い、ということを考え、自分自身を支えてくれた言葉を紹介しながら、これまでの歩んできた道を振り返る内容にしました。
正直、執筆という意味ではキツイ2ヵ月間でしたが、自分自身の原点を振り返ることができ、また、気持ちも新たにできた、という意味では、こういう貴重な機会をいただいたことに深く感謝しています。
2ヵ月間の「素描」掲載中、少なからぬ方から、
「素描、読んでいますよ。」
と声をかけていただいたり、市役所に来訪された方が、
「”大忍”のお皿を見せてもらえますか?」
と、実際に見に来ていただいた方もいらっしゃいました。
自分自身を支えてくれた言葉、大切にしている言葉は、当然、今回の8つだけではありません。
今、思いつくままに書き並べるだけでも、
・トイレのスリッパ
・お前にかかっている
・過ちを改めざるを
・悲観するなかれ、楽観せよ
・お前は何かやってくれそうな気がする
・運と愛敬
・素直
・衆知を集める
・主座を保つ
・修養と努力
・ケンチャナヨ
・我、心の塵を拭わん
・言いにくいことを
・人間に合理的な判断はできない
・主人公
この1つひとつの言葉で、「素描」の原稿を書くことができます。(大変だから、もう書きませんが(苦笑))。
単に書物の中の言葉を読んだだけでは、苦しいときに支える言葉にはならない、と思います。
上に並べたような心に残っている言葉たちは、すべてその言葉の背景には、先生であったり、先輩であったり、同級生であったり、地域の方であったり、人との出会いとつながりがあります。
こう考えると、単なる「言葉」が私を支えているのではなく、その背景にある「人」の存在が私を励まして成長させてくれているのだと思います。
「素描」の最終回は、本当であれば心からの感謝の思いを書きたかったのですが、紙幅の都合上、そこまで書けませんでした。
連載が終わるにあたり、改めて、いろいろな意味で私の人生に刺激を与え、厳しく叱咤激励し、温かく支えていただいたすべての皆様に感謝申し上げます。
ありがとうございました。